慶應女子大生のブログ

女子大生のブログ

慶應大学に通う女子、結婚・就職などの人生のもやもやについて書きます。

「当たり前」と「当たり前じゃない」こと

今まで、人生をやってきてとても感じることは、
日本で「当たり前」と「当たり前じゃない」ことがあったら、全力で前者が良い、素晴らしいとする
世の中であるということである。
 
私が、そういう保守的な考えの中で生きてきたからかもしれないが、
小学校・中学校・高校ともに「こういう生き方がふつうです。」「これが幸せです。」
と皆同じような進路や生き方を教えられてきたように感じる。
 
形式的なことかもしれないが、「制服」は特に疑問があって、
制服を着る選択肢と着なくても良い選択肢だってあっても良いと思う。
勿論、アメリカでは私服だからこそ経済的な差があらわになっていじめにつながったりしているので、
制服のメリットだってたくさんある。
 
特に、女子はスカート・男子はパンツ、というのもとても違和感があった。
私の行っていた高校は、女子高だったが、スカートかパンツは選べる制度だったので、
そこはとてもよかったと思う。
でも、なかなかそのような制度を持つ学校は少ないだろう。
 
外国人の友達を作って、色々な話を聞くにつれて、「当たり前じゃない」ことを初めて知ることが多かった。
彼らは、むしろ「当たり前じゃない」ことに価値があると思っていて、
とても自由に人生を生きているように感じた。
 
私が、留学を先進国の大学ではなく、交換留学ではなく、フィリピンに決めた際は、
外国人の友達はとても応援してくれたが、
両親含め大人の人からは、あまり賛同されることが無かった。
 
「当たり前じゃないこと」を見つけるとすぐに非難されるような環境で私は今まで生きてきたので、
とても窮屈に感じることがあったが、
フィリピンで様々な生き方をしている方々に会って、
こんな選択肢もあるんだ、この選択肢をとっても非難されないんだ。
と初めて思うことができた。
 
例え、「当たり前じゃない」ことにデメリットがあったとしても、
肯定的にとらえて、認めて欲しい。
 
恐らく、大人達は、その「当たり前じゃない」ことに関して
彼らが生きてきた人生の教訓から、アドバイスの意味で
「しない方が良い」「間違っている」「できない」
と決めつけて、傷つかないように、失敗しないように誘導してくれてるのかもしれない。
 
でも、「当たり前じゃない」ことをしようとしている人にとって
それは逆効果だし、ただの抑圧でしかない。
 
まとめると、私の経験上特に日本は
「当たり前」と「当たり前じゃない」ことがあった際、
「当たり前」の方を死に物狂いで選択するんだなあ、と感じる。
賛否両論あるが、私はそれは良くないのでは、と思う。