慶應女子大生のブログ

女子大生のブログ

慶應大学に通う女子、結婚・就職などの人生のもやもやについて書きます。

条件だけで付き合ってみた結果

結果:失敗した

とても早く結果が出てしまったのだが、上手くはいかなかった。

色々と相手に対して、不満が積もり、しかもそれを変えて欲しいと強制するのも全く好きではないので、私に合わないと思ったら、もう合わないものだと思ったのだ。

付き合う上で相手に合わないと思うことは普通、あると思うのだが、私はそれを相手になるべく伝えたくないとずっと感じていた。

彼は彼のまま生きれば良いし、私に合わせようと努力する必要も全くない。

私が合わないと思って、関係は終わったが、今回は、彼のせいで別れるというより、完全に私のせいである。

もし、彼に、言葉で表せないような「好き」という感情を抱いていたら、一緒にいたいという思いのもと、私も努力するし、彼にも努力して欲しいと思うかもしれない。

でも、今回は条件だけで付き合ってしまったので、合わないと思っても、努力する意欲が全く起きなかった。

条件だけで付き合うのは上手くいかないと学んだ。条件というのは、別れる理由にはなるかもしれないが、付き合う理由にはするべきではないかもしれない。

 

条件だけで付き合ってみた

私は、付き合うなら結婚を考えられる人と付き合いたいと思っている。

結婚を考える人に対して色々と条件がある。例えば、私は将来自由にいろいろやりたいので、どこでも働けるような手に職がある人。弁護士とか、医者とか、先生とか。

あとは、私の気性が荒いので、どこまでも穏やかな人。育ったバックグラウンドが私と同じなど。条件は多岐にわたる。

最近出会った人で、条件をクリアした人がいたので、付き合ってみることにした。

ちゃんと仕事もしているし、穏やかだし、優しいし、浮気について意見を聞いたところ、ちゃんとした意見があった。でもまあ、男なのでそこらへんは信用できないが。

条件でみると、問題なくクリアなのであるが、たまにサイコパスな行動をしかけてくる。

先日は、旅行に行ったそうで、お土産をくれた。何を選んでくれたのだろうと、とても楽しみにしていたのだが、なんとグミ2袋だった。

言っておきたいのは、ドイツ名物のハリボではない。まったくその土地の名物ではない。

グミ プラス グミ

だったのが、驚きである。私は、今まで一言もグミが好きと言ったことはないし、むしろ苦手である。

お金がないわけではないのに、何故種類の違うグミを2つもくれたのか、謎は深まるばかりである。

きっと、そういうお土産を誰かに買っていくという行為をしたことがないのか。

言ってしまうと、そういう常識が皆無なのである。常識的に考えてこうするだろう、ということができないのである。

だが、わからないものはわからないし、彼も若いのでこれから学んでいくのは確か。

私が教えていくべきか。でも、私はそれから何を得られるのか。

とても優しいし、真面目だし、良いところはたくさんある。

足りないものは何だろうと考えたが、「センス」だった。

「センスがある人」を新たに条件に加えて、新しい人を探すか。

センスについては、目をつぶるべきか。

世の中の人は、自分の彼氏彼女を完璧だと思って付き合っているのだろうか。

ソマリア人カレピッピと決着をつけた話

散々書いてきたソマリア人カレピッピとの関係は、数か月前に実は終わってしまった。

理由はいろいろあるのであるが、やはり最大の理由は、カレピッピの人柄が変わってしまったという点である。

私は、カレピッピの国籍や、医者になる将来と付き合っていたのではなく、カレピッピの私に対する接し方や思いやり方がとても好きだった。

経済的な問題で学校を続けられなくなったり、いろいろと将来について不安になる出来事が重なってしまい、カレピッピも私にあたるようになってしまったのである。

しかし、その間にも楽しかった思い出が、たくさんよみがえって、なかなか別れるという決断に至らなかった。

私がソマリアに行かないと一緒になることができない、となった時も、ソマリアに行くつもりでいた。

カレピッピと一緒にいれるなら、それくらいの犠牲は払えるつもりでいたし、むしろそれが私にとって幸せな選択肢であるようにも思えた。

それぐらいの覚悟ができていたのは、カレピッピのことをとても好きだったからである。

もちろん、普通に交際しているカップルはうらやましくあったし、なんで私たちだけがこんなに苦しい思いをしなければいけないんだと、悲しくなったことの方が多いかもしれない。

だが、時間が少し経ったいま、思い出が美化されて、本当に自分の選択肢は正しかったのか。諦めて良かったのか、後悔するようになってしまった。

カレピッピと私の将来やすべてを考慮すると別れたのは、正しいと思う。ただ、気持ちというのは、どうしても論理的に考えるのは不可能であり、「もし私が、カレピッピと一緒にいたら、諦めずに努力していたら、」と考えてしまう毎日である。

カレピッピには、「もう連絡しないで欲しい、すべて忘れて欲しい。」といわれたので、それから連絡はとっていないが、いつも何をしているかな、元気かな、と思い続けているのは事実で、誰かとデートをしても、カレピッピと重ねて考えてしまうことばかりである。

タイトルで、「決着をつけた」と書いているが、実のところ、私サイドでは決着はついていない。

たまに、思い出して、自然と涙が流れる時もあるし、まだ悲しい思いをするときはたくさんある。

カレピッピとよりを戻すとか、連絡をとってみるということをするつもりはないが、彼との思い出をただの過去とするにはもう少し時間がかかりそうである。

インド人のびっくり行動を厳選した

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インドに一か月滞在していたのだが、本当に他の国と比べて驚くことが多かったのである。驚いたことを厳選してみる。

①誰も助けない。

タクシードライバーが道に迷ったのか、いろんな道端の人に声をかけていたが、皆「ガン無視」。

運転手が顔を約15センチくらい近づけて聞いていたが、顔を見つめるだけで、「分からない。」とも言わなかった。

見ているだけ、この国は人を助けるという精神がないのか、とびっくりしてしまった。運転手もかなりイラついていた。

②犬を轢いちゃう

タクシーに乗っている時、道の真ん中で犬が寝ていた。

運転手は速度を落とさず、犬に突っ込んだのである。真夜中の住宅街に、犬の「わお~~~ん」という鳴き声が響き渡り、私は日本に帰ろうと思った。

③トイレットペーパーを使わない

ホームステイした際に、トイレットペーパーが見当たらなかったので、ホストマザーに聞いたところ、「私たちはトイレットペーパーは使わないのよ。使うんだったら買いに行かなきゃね。」と言われた。

トイレットペーパーを使わないという選択肢がこの世にあったのかと感動した。なんとも地球に優しい国である。

④夫婦のベッドの上でディナーを食べる。

「バターチキンカレー」と言われて、とても楽しみにしていたディナーだが、呼ばれたのは夫婦の寝室。そこではお父さんがくつろいでいた。

そこへ子供たちも寝転がりテレビを見ていた。

おもむろに、バターチキンカレーと大量のナンをベッドの上に置き、ディナーが始まった。大きなリビングがあるのに、なぜ皆でベッドに座る必要があったのだろうか…。

私は、人のベッドに座るのが気が引けて5センチだけ腰を置いていたのであるが、「もっとくつろぎなよ!」って怒られた。いや、でもこれ夫婦のベッドじゃん…。という感じ。

⑤急に物乞いのガンディーみたいな人が現れる

物乞いがかなりアクティブなので、結構怖い。

しかもみんな裸足で、私にはガンディーにしか見えない。なので、偉大なガンディーがみんなに物乞いして無視される光景がおかしくて仕方なかった。

しつこいので、少し立ち止まっていたら物乞い攻撃か、物売り(激ショボサングラス)に邪魔されるのでかなりの注意が必要であった。

一番、怖かったのは、赤ちゃんを抱いたお母さんに追いかけられた時である。きっと「お金ちょ~~だい」って言ってるのであるが、あの悲しそうな赤ちゃんの目とずっと追いかけてくるお母さんを思い出すと今でも怖い。

⑥必殺カレー弁当

外のベンチでくつろいでいた時、横から急にカレーのにおいがした。

見てみると、男性が、タッパーにカレーをつめたのを一生懸命食べていた。

外で食べるというのはグッドチョイスだが、冷めたカレーはおいしいのか。

⑦道端で牛を飼っちゃう

牛を神聖なものとして、殺さない。大切にするというのは、有名な話であるが、あれは誰かが確実に飼っているのである。

朝早めの時間帯に行ったら、バケツたっぷりのエサを牛さんが一生懸命食べていた。日中は、道路をひたすら歩いている牛さんをよく見た。道路沿いをとにかく歩くのである。夜は全く見ない。夜はどこに行ってしまうのか。そして、なぜ道路で牛を放し飼いにするという思考に至るのか。

車も多く走っているので、危ない場面は多々あるが、意外にも交通事故の原因ではなく、1年に1匹ほど牛さんが交通事故で死んでしまう程度らしい。(ホストマザー調べ)

 

きっと、忘れてしまっていることはたくさんあると思うが、びっくりするのが好きな人はインドにぜひ行ってほしい。

 

 

フィリピンでの年の差結婚の闇

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セブ島に滞在していた時、休日といえばショッピングモールしか行くところが無い。

なので、よくフラフラしていたのであるが、その時によく見ていたのがかなりの年の差カップルである。

女性のほうはおそらく、20から23歳とか私と同じくらい。

男性のほうは、杖をついたよぼよぼのおじいちゃん。白人である。

2人で仲良く手をつないで歩いているのを見かけた。そういうカップルがたくさんいるのである。若いフィリピン人女性とよぼよぼの欧米人という組み合わせ。

フィリピン人の友達に聞いたところ、米国で軍隊を引退した人が少ない年金で老後の生活をフィリピンで過ごすそう。

そこで一緒に住むパートナーも見つけるらしい。

年金は少ないといえども、フィリピンは物価が安いので、暮らすには十分な金額である。

もちろん、「真実の愛」的な結婚ではない。フィリピン人の友達曰く、ほとんどが、お金目当ての結婚である、ということ。

家族もお金に困らないのであれば、よぼよぼの欧米人と結婚するべきだと勧めるパターンもあるそう。家族のために、家族が必要なお金のために結婚する女性もいるとか。

日本では、考えられないし、これはほぼ人身売買なんじゃないか、とも思う。

ドイツ人と付き合っているフィリピン人の友達は「両親は、私が先進国の人と付き合ってるからハッピー」と言っていた。もはや、中身というより、先進国出身であるということが安心材料らしい。

フィリピンに行って見ればわかるのは、貧富の差とか、日本では考えられない貧しい暮らしとか、しかし、それはただただ表面的なことで、

よく見てみるとその中には、お金のために結婚したり、違法な炭鉱作業で危険を犯してお金をあつめたり、観光客を脅してお金をとったり、

普通に考えてしてはいけない事、しない事が行われているのである。

一見、お金がなくても皆、明るく幸せそうに見えるフィリピンであるが、よく見るとお金のためにプライドを捨てて生活したり、彼ら、フィリピン人の状況を利用して、人権を無視する人はたくさんいる。

東南アジアの人々が過酷な労働環境で作っている洋服を着ている私も、彼らと同じことをしているのではないか、と怖くなることもある。彼らのためには、そういうものを買わない運動、彼らの収入のために買うのはどちらが正解なのだろう。

ブルガリア史上最悪の女とバトルした話

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これは、例の搾取されまくっている、インド人の会社でインターンシップをしていた時の話である。

会社にはインド人しかいないにも関わらず、日本人向けのサービスをしている会社だった。会社の強みとして、従業員のインド人が全員、日本語が話せるというものであった。私はそのためにインド人への日本語教育を任された。

では、普段はどうやってインド人は日本語を勉強しているのか、という話になるが、社内に「日本語トレーナー」というものが存在し、その人が基本的にインド人に日本語を教えていた。

言語学を勉強しているブルガリア人の女性だった。

日本にいるそうなのであるが、一度も面識はなく話に聞いているだけだった。

ある日、私がスカイプでインド人に日本語を教えている時に、謎のアカウントが参加してきた。社名だったので、おそらくインド人上司だろうと思っていたのであるが、授業中に日本語トレーナーであることを言ってきた。

インド人はもちろん彼女にあいさつし、私も一応あいさつをした。

何か、私の教え方を見張られているようで、良い気はしなかったのだが、そのまま日本語をインド人に教えていた。

日本語を教えるのは、想像以上に難しい。私も初めてのことだったので、試行錯誤をして、何とか彼らに日本語をわかってもらおうと努力していた。

以前、彼女に助けを求めた際は、超少ない数の資料しかシェアしてくれなかったし、本当に不親切だと感じた。

さんざん、私の授業を聞いて、最後に一対一で電話をして言ってきたのは、

「あなたがインド人を混乱させている、なんていう教え方をしているのかしら。」

私は、驚愕した。私の母語である日本語の教え方をなぜブルガリア人女に非難されなくてはいけないのだろうか。非常に疑問である。

そのあとも、私への非難が止まらない。しまいには、笑いながら、私を超馬鹿にして「何やってるの?」みたいなことを言ってきた。

非常にショックだったし、もっとも悔しかったのが、私が彼女に論理的に自分の意見を伝える英語力を備えていなかったという事である。

実際、リスニング力も最悪だったため、70パーセントしかブルガリア人の言っている意味が分からなかった。

とにかく、そんなに非難するのであれば、自分が教えれば?

ということだし、教え方のプロなので、アドバイスは素直に聞くつもりだが、言い方が気に入らなかった。

それに、自分の意見を英語で伝えられないのが非常に悔しかったのである。

あの、悔しさはきっと一生忘れない。

相手の言語が母語でない場合、決して一方的に責めることはしてはいけない。言葉は本当に暴力になるんだと学んだ。

何か責められて、黙り込んでしまっている自分に何か、日本人の弱さを感じてさらに嫌になった。違うことは違う、嫌なことは嫌だと、どんな状況でも言えるようにならないと、損をするのは自分である。

 

セブ島留学で英語は話せるようになるのか。

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昔ほどではないが、セブ島留学はかなり人気である。

理由は、ただ一つ安いから。他にもいろいろ良いところがあるのではあるが、セブ島に来た人達が口を揃えて言うのは、「フィリピンは良く分からないけど、安いから」来た。

という事である。確かに、欧米諸国の留学にかかる費用と比べると確実に安い。

私は、現地のインターンスタッフとして、働きながら英語を勉強していたので、実質タダで、少しばかり給料も貰えた。

セブ島留学を考えている人の中で最大の疑問は「セブ島で英語は話せるようになるのか。」というものである。

結論から言うと「話せる雰囲気が出せる」程度である。

語学学校で働いていた際は、学校を代表している手前、「努力次第で、ペラペラです!」的なことを言っていたのであるが、実際、相当努力しないとセブ島ではペラペラにはなれない。

理由は、先生のフィリピン人が第二外国語として英語を話しているという点である。

彼らは、小学校から英語の教育を受けてきているので、英語でのコミュニケーションには問題がない。そう。「問題がないレベルなのである。」

もちろん、フィリピン人の先生同士の会話で英語を使うことはほぼなく、皆現地の言葉でコミュニケーションをとっている。

先生に聞いたところ、「もちろん現地の言葉のほうが話しやすい。」と言っていた。

やはり、第二外国語として話しているので、私たちのわかりにくい部分をうまくくみ取ってくれる。なので、初心者にはとても優しいかもしれない。

だが、先生たちの英語はかなりわかりやすい文法で分かりやすい特定の単語を使っているケースが多いので、上達するかは、はっきりと言えないのである。

私は、フィリピン人の先生と問題なく会話できるし、聞くことも話すことも「フィリピンでは」問題ない。

しかし、アメリカ人やイギリス人の友達と話すと全く意味が分からない事が多々ある。

それが、欧米留学とフィリピン留学の違いである。

フィリピン留学をしたからと言って、「英語を話せる」というレベルには至らない。せいぜい、「あいさつ程度の英語」である。これは私自身が考えるレベルなので、あまり大げさに取らないでほしいが、「英語が上手い」と言われるレベルにはかなり劣る。

また、日本人大好きのTOEICの点数を上げるようなコースもたくさんあり、「800点以上確約します!」みたいな学校もあるが、TOEICの勉強は最悪日本でも、できる。

TOEIC用の勉強をしたら、全員が良い点数をとれるのである。スピーキングの試験はないので、TOEICの点数が高くても、英語が喋れない人はたくさんいる。

ただの紙ペラ一枚のために大事な時間とお金を費やす余裕のある人は行けば良いと思う。

フィリピン留学の最大の魅力は、「安く遊べる」というところである。お酒もたばこも安いし、フィリピン人は明るく一緒にいて楽しい。

英語を喋れるかは実際、どうでも良い。「海外に留学してましたor海外にいましたor英語の勉強しに海外行ってきます!」とSNSで言いたい人にはぴったりである。