慶應女子大生のブログ

女子大生のブログ

慶應大学に通う女子、結婚・就職などの人生のもやもやについて書きます。

お世辞に対処するのが史上最強に面倒くさい

就職活動における面接で、私の学歴を褒められることがある。

「〇〇大学ですかあ~優秀ですね。」
「〇〇高校が優秀なのは存じ上げていますよ。」

別に、私の大学・高校が優秀か否かというのはどういう基準で決めるのかにもよるし、
よくある大学ランキングとかもどんな項目をもってして決めているか分からない。

しかし、私は高校・大学ともにそれなりに入学するのに苦労したし、
自分の行きたい学校に行くことができたので、満足している。
私の基準で考えると、周りに優秀な人ばかりなので、優秀な学校なのかなと思う。

なので、「優秀ですね。」と言われた時には、「ありがとうございます。」としか言わない。
そこで「いえいえ、とんでもないです。」と言うような筋合いもないし、相手がそういってるんだからそうなのだ。
だが、そのような誉め言葉を言われるたびに、「ありがとうございます。」だけを返すと
面接官が微妙な反応をすることがある。
微妙な反応というと伝わりにくいが、何か変な空気が流れる。

おそらく、彼らは「謙遜」して欲しいのかもしれない。
なぜ、お世辞に対して謙遜しなくてはいけないのだろう。
「俺は〇〇大学落ちちゃったからな~すごいよね~。」って言われても、
「あ、そうですか。」っていう感じだし、
入試制度も受験していた生徒の質も違うのだから、わたしがすごいという結論にはならない。
そこでも「そうですか。」としか言いようがない。

おそらく、すごく世渡り上手な人は、他の人が考えもしないようなフォローとか
そこから会話を膨らませるような術をたくさん持っているのだろうが、
私はお世辞から会話を膨らます気は一切ない。
でも、社会に出るにあたって、「お世辞」というのは必要不可欠なものであって、
特に、上司にはへこへこしなければいけないし、相手との関係をまあまあ普通にしておくためにも必要なのだろう。

「お世辞」が大切なのは、頭で分かっているか、不毛すぎて、どうしても使う気になれない。
なので、私はお世辞は相当なことがない限り言わない。

良く考えてみて欲しい。
頭の悪い人は頭が悪いと実感しているし、
頭の良い人は自分が頭が良いと薄々気づいてる。

デブな人は鏡を見ればわかるし、
ブスな人だって、他人の反応を20年以上も見てきたら、感じているものである。

なのに、なぜその人の「バカ」「頭が良い」「ブス」「美人」のアイデンティティを否定するような
お世辞を言わなくてはいけないのか。
そして、なぜそのお世辞に対して「謙遜」しなくてはいけないのか。

「〇〇ちゃんの彼氏カッコ良いよね。」と言ったとしよう。
もしそれが、みえみえのお世辞だった場合、その彼氏はカッコ良くない。
「そんなことないよー。」と〇〇ちゃんは否定する。
ここで、言いたいのは、○○ちゃんは謙遜しているのではなく、ただ「彼氏がカッコよい」という事を否定しているだけである。
〇〇ちゃんだって、世間一般でみて自分の彼氏がカッコよくないのは付き合いが長ければ気づいている。

お世辞という嘘をついてそれを否定しなくてはいけない、なぜそのような不毛なやりとりを
私達は繰り返さなければいけないのだろうか。

世辞:他人に対する愛想のよい言葉。人に気に入られるような上手な口ぶり。おせじ。
(デジタル大辞林)

以上の意味を考えるとそれは必ずしも人を持ち上げる嘘である必要はないらしい。
ただ、人との関係を良好に保つような術として使うものである。
また、謙遜すると、より人との関係を良好に続けることができるのであろうか。

お世辞を言いたい人は、言えば良いし、謙遜が得意な人は謙遜すればよい。
ただ、お世辞を言わないとか謙遜しないからといって
世渡り下手・自信過剰・気が利かないみたいなイメージがつくのはどうにかして欲しい。
お世辞・謙遜の時間をもっと他の有意義なコミュニケーションに使ったらどうだろううか。

とイギリス人の友達と話していて思った。