慶應女子大生のブログ

女子大生のブログ

慶應大学に通う女子、結婚・就職などの人生のもやもやについて書きます。

理解してもらえない辛さ

今日は、朝からイライラしている。

それは、思いの外体重が減っていなかったり、台風が来ているとか そういう生半可なことではない。

 

私が言っていることを理解してもらえないのである。

 

実は先日、友人に私とカレピッピの国際恋愛についてインタビューをしてもらった。内容は、私がカレピッピとどう出会ったかとか、付き合う上で何が困難であるか、など。基本的な話である。カレピッピを蔑んだ内容も全くないし、基本的に私自身の話である。

 以下インタビュー記事

【彼が日本に入国できない!】距離も文化も乗り越えて、アフリカ人と交際している慶応女子。 | yuune[ユーネ]

記事の内容はとても素晴らしいし、イラストもとてもかわいいし、とても気に入っている。なので、自身のフェイスブックページでシェアをした。

今日の朝、カレピッピから大量のメッセージが届いていたのである。

カレピッピは私の共有した記事をみてグーグル翻訳を使用したようである。

ご存知の通り、グーグル翻訳は事実内容をめちゃくちゃにするし、ニュアンスなども一切、伝わらない。

 

その結果、カレピッピは「なんでこんな プライベートな事を書くんだ」 書いていない。

カレピッピ「アフリカに行かないって書いてあるじゃないか」一切書いてない。おそらく行かなきゃいけない、が誤訳されてしまったのである。

カレピッピ「いかにも僕がお金と食べ物に困っているみたいじゃないか」

挿入されたイラストはこれである。

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これは、イスラム教で豚肉が食べれなかったりする食文化の違い、日本に来る際にビザ申請など莫大な資金がかかること、など「文化の違い」を表して下さったのだろう。

カレピッピがお金がないとか食べ物に困っているなど一切言及していない。

 

私は、「日本語が複雑な事、翻訳を頼らず私に聞いてほしい。もし、私のことが信用できないならば、日本人の友達に記事を読んでもらい、感想を聞いてみれば良い。」と伝えた。私は断固として間違ったことは言っていない。

 

「もう一度チェックしたが、やはり悪く言ったり、人権侵害のようなことは一切書かれていない」と伝えたら

カレピッピ「もう一度チェックするということは、きっとやましいことがあるんだ」と言い始めた。

なぜそんなにひねくれてしまっているのだろうか。自分でアフリカ出身であることのコンプレックスを丸出しにしてしまっている。

 

だから日本人の友達に早く聞けばいいし、もう何も答えたくない。

 

自分の伝えたいことが、伝わらなかったり、誤解されてしまうのが1番ストレスである。

母国語がお互い違う場合、お互いを理解しようとする気持ちがなければいけない。言葉の意味だけを理解するのは不可能なのである。

常識的に考えて、私が自分のカレピッピを悪く言ったり、人権侵害をするような人間だろうか。

全然向こうは全くわかっていない。わかろうとしない限り、絶対に理解し合えないのである。

言葉の壁は無い、という人がいるが、言葉の壁は絶対的に存在する。知らない間に私も 外国人の友達を傷つけてしまっているかもしれない。

しかし、そこには寛容な心とわかろうとする姿勢が必要なのである。

 

カレピッピは全然そういう姿勢がない。私は、何度英語が不得意であることを伝えただろうか。

腹立たしいと共に、言いたいことがしっかりと伝わらないというのが非常に悔しい。

日本人だったら、「伝えなくて伝わらない。」

ということが普通だが、

私の場合「伝えても伝わらない」のである。

 

セブ島で会ったネパール人

私は、セブ島で現地の友達をたくさん作りたかったのでTinderを良く使っていた。

その中で印象に残っているのが、医学学校に通うネパール人である。私は、その時「彼氏はいらない。」という事を言うのを忘れてしまい、向こうはデートをする気満々だったっぽい。

まあ、私も生活に余裕がでてきたところだったので、良いかな、と思い、一緒にご飯を食べに行くことにした。

ネパール人「おいしい日本食レストランがあるんだ。そこに行こう。」

と言って連れてきてくれたのは、中華料理レストランだった。彼は看板に漢字があれば全て日本食レストランだと思っていたらしい。

やはり、所詮外国人の考える日本ってこんなものかなと思った。でも、今までの外国人は、日本料理と中華料理はさすがに区別できる人だったので、少し驚いた。

ご飯を食べた後は、コーヒーを飲むことにした。

そこで彼は電卓を取り出したのである。

「自分が医者になったらどれくらい稼げるか」のシュミレーションを親切にも電卓を使って説明してくれた。

彼の言う通りになるとだいたい月100万円くらい稼げるとのこと。

「お金で釣ろうとしているのかな。悲しいな。」とも思ったが、お金の話をしている時だけ彼の目がキラキラしていたので、本当にお金が好きなのであろう。

それから、会うたびにチョコレートを渡してくれるようになった。

ネパールでは、好きな人にチョコレートを渡すのがふつうであるそう。しかし、フィリピンはとても暑い国なので、バッグに入れておくと全て溶けてしまう。でも毎回高めのチョコレートをくれるので、まあ良しとしていた。

私は、なかなか彼のことが好きになれず、友達でいたかったのだが、彼の方だけ気持ちが高ぶってしまい、しまいには、

やり取りしているチャットアプリの

私の名前をジュリエット、そしてネパール人の名前をロミオ

に変えていた。本当にびっくりしたし、これ以上彼の時間を無駄にするのは申し訳なかったので、そっと連絡を取るのをやめた。

彼は今頃無事に卒業して、ネパールでお医者さんでもやっているのだろうか。

セブ島には世界各国から、色んな人が勉強に来ているので、留学中の人は学校内の日本人だけでなく、外の人とも知り合って欲しい。

海外ドラマでよくある謎シーン

私は海外ドラマが大好きである。暇さえあれば見ているし、休日も全くお金をかけずに遊べる方法なので、とても気に入っている。

今までかなり、色々な海外ドラマを見てきたが、そこで良くありすぎるシーンで未だに理解できないシーンを上げてみる。

①高校生が老けすぎ

高校生活を舞台にしたドラマはたくさんあるが、どのドラマも高校生が年寄りすぎなのである。

高校生のくせに、抱える問題は重大すぎるし、アメリカの高校は本当に怖い。

私は高校生の時に、アメリカに留学したくて仕方無かったのだが、全親戚に猛反対された。もし、彼らのイメージが海外ドラマによるものだったら納得である。

②すぐ麻薬やっちゃう。

「とりあえず麻薬」と言わんばかりに、麻薬を使ってしまう。

ドラッグがすべての海外ドラマも現地ではかなり人気だし、日本では考えられない。

③病院でコーヒー買いにいっちゃう

絶対に、誰かが病院に運ばれるシーンがあるのだが、そこで絶対に

「コーヒー買ってくる」といなくなる人が現れるのである。

絶対にコーヒーなのである。あとは、プリン(?)を買うパターンもある。

アメリカの病院のコーヒーとプリン(?)はおいしいのだろうか。日本の病院ドラマではコーヒーのコの字も出てこないので、とても不思議である。

④交通事故でシーズンが強制終了

車を運転している時に、誰かがふいに目をそらし、交通事故になってしまう。

よくそれでシーズンが終わることが多い。私は、もう次のシーズンが見られるので、構わないが、普通のアメリカの方々は、そのシーズンで終わり、次のシーズンまでかなりの期間待たなければいけなかったと思うと、アメリカのドラマ制作者は視聴者にかなり厳しい。

あと、運転者が妊娠している確率が高い。本当に縁起でもないので、すぐ交通事故を使っちゃうのはやめて欲しい。

⑤離婚と結婚しすぎ

何かがあるとすぐに離婚と結婚を繰り返してしまう。海外はそんなに離婚と結婚が軽いものなのだろうか。

日本だと1つの家庭を中心として、その周りのごたごたを描く。みたいなものが多いが、アメリカのドラマは、その中心の家庭さえ、結構最初の方で原型がなくなってしまっているので、厳しい世界である。

⑥差別ジョークがすごい

コメディ系のドラマだと、人種差別のジョークがかなりひどい。

人種問題ってかなりアメリカでシビアだし、謎の抗議活動だってあんなにあるのに、ドラマの中ではやりたい放題で良いのだろうか。

⑦日本語できなすぎ

よく、日本人風の人が登場して、日本語をしゃべることがあるが、99%日本語がめちゃくちゃである。字幕が欲しいレベルである。

また、東京の風景を模したセットで、日本を表すことが多いが、「ラーメン」と書かれた電光掲示板を置けば、そこは東京という簡単なことではないので、アメリカの方々にはもっと頑張って欲しい。

中国、台湾、韓国、日本、あたりをごっちゃにしてしまうことは日常茶飯事である。アメリカの方々にとっては、そんなのどうでも良いのである。

お寿司がおいしければ良いのである。

やはりソマリアには住めない。

先日のニュースで、ソマリアの首都で爆発があり、多くの人が亡くなったというのを聞いた。

幸い、カレピッピの家族や友人は、首都から離れたところに住んでいるということだったので、無事だったが、カレピッピはそのような行為に怒った様子だった。

やはり、どう考えても現在のソマリアは危ない。

最近、カレピッピと将来の話をしすぎてしまうことがあり、私の選択肢はソマリアに行くかエチオピアで住むか。という選択肢しかないとうことになってしまった。

考えてはみたもの、やはりソマリアエチオピアで住むなんていう覚悟は私にはできない。エチオピアなら、少しは…。と思ったが、一生そこで暮らす決意くらいないと移住するのは難しい。

私は、少しでも「日本に帰れる。」という生半可な気持ちを持って行くのは間違いだと思うからである。

自分で移住することを決めたら、その地でたとえ上手くいかなくても頑張りたい。

現在、私の気持ちは、「カレピッピとは一緒になれない。」

なぜなら、私はアフリカには住めないからである。

だが、私は、だいぶ前に、カレピッピに会いに行くためのチケットを買ってしまったのである。それは、丁度一か月後である。

チケットは無駄にしたくないし、もうこの先のない相手と会ってもただただ悲しくなるだけだろう、とも思い、ずっと行く決心ができずにいた。

でもやはり、チケットはもったいないので、1カ月間は何事もなく振る舞って、カレピッピに会いにいくことにする。

将来のことはもうお互いに考えない、話さない。というふうに決めているので、無の感情を1カ月間保ち、無の状態で帰ってくることを目標にしておく。

最近は、このことを考えすぎて体調不良にもなってしまったし、もう、解放されたい気持ちが上回っているので、セブ島にいってリゾートを楽しんで、すっきりして帰ってきたい。

また、もし、アフリカで生活をする場合、エチオピアでカレピッピがずっとそばにいてくれればいいのであるが、一緒にいれるのは9か月間のみで、3か月間はソマリアで自分のビジネスをしなければいけないという謎の条件だった。

絶対に、その期間なんてものは最初の時点で断言できるものではないし、9カ月がどんどん短くなって、最終的に私がずっと1人でエチオピアにいることは目に見えている。

もし、家の電気や水が使えなくなったら、きっと周りの人とコミュニケーションだってとれないし、ソマリアは隣の国であっても、飛行機を取らなければいけないし。

苦労しか見えないのである。

運命というものを私は信じているので、その状況下でタイミングよく一緒になれれば良いし、もしダメだったらダメだと諦める決心もついている。

電話をかけることは本当に悪であるのか。

最近、IT界隈の人の間で「電話はよくない。人の時間を奪いすぎるからだ。メールで構わない。」という意見を聞くことが多い。

特に、ホリエモンが言っていたのが印象深い。

説得力はかなりある。電話は人がしていることを遮ってくるし、ほしい情報は口頭になるので、口約束になってしまったり、どうせ後でメールでログをとらなければいけないなど、二度手間になって不効率だったりする。

私は、以前電話営業のアルバイトをしていた。私はどちらかというと、「メールで構わない連絡をわざわざ電話でする必要があるか。」と思っていたし、電話で相手の忙しい時間を奪ってしまうのも申し訳なく感じていた。

しかし、私が働いていた業界は、アナログの人が多く、メールを送っても見ていなかったり、ファイルをメールで送信するよりもFAXを好む人が多かった。

年配の人に至っては、「ネットのことなんてよくわからないよ。そんなのは若い人に任せているからさ。」と学習意欲ゼロの発言をする人もいた。

まあ、一理ある。経営者でない限り、すべてを把握する必要はなくて、不得意なものは得意な人に任せて、自分は一切関与しなくても良いかもしれない。

また、電話で声を聴くことは相手にとっても信頼につながるようで、メールを打つのは億劫だったとしても、電話でなら話してくれる人もいた。

私が言いたいのは、重要なのは、すべて効率化に走るのではなく、適切な方法を適切な人々に取るということである。

ホリエモンに電話をかけたら怒られるかもしれない。

でも、超アナログな人はメールより電話を好む人はまだまだ多くいる。

それに、誰もがIT界隈の人々のようにシャープな頭を持ち、あふれている選択肢から後悔のないものを選ぶことができるとは限らない。

人にはそれぞれ合った方法があるのである。

私は、情報化社会に遅れている人を非難するつもりはない、便利だと思えば新しいテクノロジーを使えばいいし、今でもFAXのほうが便利だと思うならそれを使えばいいと思う。

しかし、現在は新しいテクノロジーについていけない人=遅れている、頭が悪い、柔軟性がない。と思われてしまいがちである。

私は、どちらかというとアナログの人を非難する人のほうが柔軟性がないのではないかと思うのである。

メールやチャットの時代であり、電話は超非効率かもしれない。でも、相手がそれを好む限り、電話するべきであるし、相手が電話をしたいのであれば、それを受け入れる柔軟性も必要である。

恥では死なない。

先日、女友達と話していた時に、「恥では死なないから、自分の気持ちに正直に生きよう。」という結論になった。

私は、本当にそうだと思っている。この世の中で何かする時に抵抗になるのが「恥」である。

もし、失敗して恥をかいたらどうしよう、もし告白して相手に好きな人がいたらどうしよう。すべて、恥を感じたくないため、自分の行動を抑制してしまうことがある。

ここで言っているのは、「じゃあ、みんな裸になろう。どこでもトイレしちゃおう。」とかそういう低次元なことではなく、

恥で死んでしまうことはないので、もし戸惑っている原因が「恥」ならば、やってしまおうということである。

また、「気まずさ」で死ぬこともない。

「気まずさ」や「恥」で相手に思っていることや、やりたいことを言えないのであれば、死なないのでぜひ言ってほしい、やってほしい。

思いのほか、恥や気まずさを感じないかもしれない。すっきりするかもしれない。

私が最近、この考え方を使って得したことと言えば、バイト先のウォーターサーバーの件である。

私のアルバイト先にはオフィスの真ん中にウォーターサーバーが置いてある。

社内の少し太めの人と、社長しか使っていない。

私は、ずっと「このウォーターサーバーは自分も使っていいのか??」と疑問に感じていた。

もしかすると、社内の少し太めの人と、社長がお金を出し合って、設置しているものかもしれない。勝手に知らないフリをして使うのもアリだが、もし、アルバイトの身分が飲んではいけないような高級なお水だったら、彼らにとっては良い迷惑である。

おそらく、きまずすぎて社員の方も私の暴飲を止めることはできない。

社員の方に気まずい思いなんてさせまい、自分が恥をかいてもいいから、あのウォーターサーバーの水を飲んでもいいか、聞くぞ。

と思い続けて2か月がたったころ、「恥で死なない」というのを思い出し、社員の方に聞いてみることにした。

社員の方は「あ、いいよー。」とアッサリだったし、(なんでオフィスの真ん中に置いてあるのに、そんなこと聞くんだか)みたいな疑問たっぷりの表情をしていた。

私が恐れていたのは、「駄目だよ」と断られて、(なんて強欲なアルバイトなんだクビにしちゃえ)と思われて、恥をかく場面だったので、何も起きなくて本当に良かった。

それから、お水はおいしいし、重い飲み物を家から持っていかなくても良いし、人生ハッピーである。

やはり、恥で死なないかぎり、思ったことは言ったほうが良いし、疑問はぶつけるべきだ。

日本政府とカレピッピ、どちらを信用すべきか。

皆さんは、外務省の海外渡航安全ページのようなものを見たことあるだろうか。

www.anzen.mofa.go.jp

 

これで、どの地域が安全・危険か、渡航しても良いのか、どの地域は避けた方が良いのかというのが簡単にわかる。

レベルは1(安全)から4(危険)まであり、1でも「注意が必要」な地域である。

私が滞在していたフィリピンセブ島は、レベル1の黄色がかっている地域だったが、何も危険な目には合わなかったし、少々厳しめに判断されているのであろう。

それに、外務省が運営しているホームページで外務省の安全基準で示されているので、かなり信用できるものであると考えている。

カレピッピの祖国「ソマリア」をチェックしてみた結果、驚愕した。

一番危険度の高い「レベル4」だった。外務省曰く「もし、国内にいるのであれば、直ちに避難してください、渡航はどんな理由であれ、やめてください。」とのこと。

死ぬほど危ないではないか。

このことは、カレピッピに話すとまた傷つくかなとも思ったが、さすがにカレピッピの国であれ、外務省を無視してはいけない。と考えたので、伝えてみた。

カレピッピ「この情報は間違っている。危険なのは南部だけだよ。」

私(外務省が間違うことなんてあるだろうか???)

カレピッピ曰く、テロが多発しているのは南部であり、ソマリア人ですら近づけない状態であるそう。

しかし、カレピッピの故郷である北部は比較的安全で女性が一人で自転車に乗れるレベルらしい。(その表現が謎であるが…)

安全のため、カレピッピの家には護衛が何人かいるし、車で外出すれば安全に問題はないらしい。

お母さまもそちらにいるそう。

カレピッピはソマリア人である。外務省よりもソマリア内部のことは詳しいかもしれない。でも、外務省の情報を無視しても良いのだろうか。

こうなったら、「行ってみないとわからない。」という冒険家みたいなことを考えないと、ソマリアには行けないだろう。

もし、私が遊びに行ってもカレピッピがいるし、大丈夫なのはわかっているが、レベル4の地域に行って殺されても「自業自得」で終わりである。

私が死んだ後に、「まだ若かったのに…。かわいそうに…。」と言われず、「まあ、自業自得だよね。」と言われるのは悲しすぎる。

ところで、あの外務省の渡航安全ホームページどんな頻度で更新されているのだろう。