慶應女子大生のブログ

女子大生のブログ

慶應大学に通う女子、結婚・就職などの人生のもやもやについて書きます。

インド人に搾取されそうになっている話。

私は、1年間休学をして、半年間フィリピン、1か月間インドでインターンシップを行っていた。

フィリピンはセブ島で観光地であるし、日本人もたくさんいたので、生活に支障が出ることはなかったが、インドは単身での赴任であったし、なかなか生活環境が合わなかったため、4か月のところを1か月で切り上げて帰ってきた。

生活環境が合わなかった際に、私は少々パニックになってしまったので、インターン先のインド人従業員とのコンタクトを一切断ってしまった。

「きっとインド人には、私日本人の生活の苦労などわからないし、これはどう頑張っても滞在することは不可能だから、逃げてしまいたい。」という精神的にかなり思いつめらた状況だった。

飛行機代も、寮代も払ってもらっていたし、友人の紹介でもあったので、とにかくこのインドから脱出して日本について落ち着いてから全てを片付けようと思っていた。

とにかく、その際は精神的にパニックになり、日本に帰ることしか考えられなかったのである。インド人マネージャーとじっくり話すなんてできない状況だった。

私と連絡が途絶えたインド人従業員は私の携帯を30分おきにならし、しまいには

「このメールに返信しないと、警察に通報する。出国もできない状態になるぞ。」

という脅しのメールを送ってきたのである。私は連絡を絶つ前に、生活環境が合わないことはしっかりと相談していたし、心配よりも脅しが先立ってしまうなんて、さすがお金にシビアなインド人である。

とにかく、出国できなかったらどうしようという不安でいっぱいだったし、インドにいたときは毎日泣いていた。

 

日本には無事帰国することができ、マネージャーとも話し合い、残りの期間は在宅で勤務をすることにした。主な業務は日本語教育である。

私は、インド人の一生懸命な生徒が大好きだったし、日本語を教えるのもとても好きだった。

あとは、日本人向けにサービスを行っているインド人しかいない会社だったので、日本語の記事広告やホームページを作っていた。

任期を終える約3日前に予定ができてしまったので、マネージャーに相談すると、

「ホームページ完成にもまだ時間かかるし、校閲的な仕事もできるので、後日3日間働けば良いのでは。」

という話になった。もちろん、私としては完成したホームページも見たかったのでOKした。

それが昨年の10月だっただろうか。それから、何回も「いつ働けば良いか。」というメッセージを送っているが、「スケジュールを調整中。」という返答しか返ってこない。

なぜ、私がこんなにもしつこくしているかというと、あと3日間働かないと、私の今まで働いてきた約2か月分の給料が振り込まれないのである。

就職活動が終わった際に、もう一度連絡してみる。すると、

「丸々3日間の仕事をあなたに調整するのは難しい。1日(8時間)×3日間=24時間を分けて、日本語レッスンにしたい。」と言い始める。

まったく意味が分からない。

「ホームページの仕事もあるし、あとで働くのでも良い。」と提案したのは向こうである。3日間の私の仕事を見つけて割り振る責任があるではないか。

それに働いている間、私の日本語レッスンは休憩・準備も含め1日5時間以内ということで合意があったのである。

なぜそれがフル8時間に引き伸ばされ24時間分も働かなければいけないのだろうか。どうせ、また24時間分のスケジュール調整にダラダラ時間を取り、私はいつの間にか社会人という結末になってしまう。

本当に、インド人は自分の都合の良いようにしか考えない。

私は、1人のインド人がすべてのインド人に当てはまるとは考えていない。悪い日本人もいるし、良い日本人もいるように、何事も主観で判断してはいけないのは承知している。

しかし、この件を通して、残念ながらインド人に良いイメージを持つはずがない。

インド人がクソだ。というわけでもない。

嫌なことは、嫌と伝えなければいけなかった、ということである。

もし、日本人だったら、マネージャーのいうことは基本従わなければいけないし、上の人間は恐らく正しい判断をするだろうと期待している。

上から言われたら、なんとなくしたがって、なんとなく正しいのだろうのだと思う。

しかし、インド人(に限った話ではないかもしれない)と仕事をして思うのは、「違うと思ったら、全力で抵抗、全力で抗議」しないと、自分はどんどん弱い立場に追いつめられる。

そして、決して相手を信用してはならない。

先日、仕事上の就業時間について合意をしたメールを確認しようと思い、私の使っていた社内メールにログインしたら、私が過去に送信したメールがすべて消え、受信ボックスも空になっていた。

私は、今まで金銭がらみで人に裏切られたことはないので非常にショックだったし、こういうことを予想もしなかったバカな自分にとても腹が立った。

まだお金はあきらめていないが、依然としてインド人マネージャーからは返事が来ない。

私なりの計画はあるし、悲嘆に暮れているというわけではなく、本当に良い人生のレッスンだったな、と。

フィリピンでもインド資本の会社がフィリピン人を働かせ、給料前にいなくなってしまったというケースがあったそうだ。

こういうことがあると、良いインド人の方々も本当に良い迷惑である。

トラウマになりつつあるので、インドカレーのお店ですらもう入れない。

気持ちと状況どちらを取るか。

カレピッピが学校をやめてしまい、医者になることが困難になってしまった時に

「好きでいる限り一緒にいる。」
という結論に至ったのだが、それは本当に正しいのだろうか。
と思うことが多くなった。
 
周りの話を聞いていても、
距離や、両親の問題、タイミングなどの状況のせいで、
例えお互いのことを好きでも離れることを決意したカップルは山ほどいる。
 
その後それぞれは、お互いに良い人を見つけているし、
前に進んでいる。
 
私は、この状況を大切にしすぎなのだろうか。
状況があまりにも難しすぎるが上、意地になってしまっている部分は大きい。
 
気持ちの面では、カレピッピのことは大好きである。
状況の面では最悪である。
 
「世界で見つけた日本人妻」のようなタイトルの番組を見たことがあるだろうか。
日本人が知らないような土地で外国人の妻として渡り、力強く生きる日本人女性を特集した番組である。
 
以前見た女性は、アフリカ人の彼と旅行で会い、結婚をし、アフリカで生活することを決心するが、待っていたのは、飲んだくれの家族と兄弟夫婦。
毎日彼らの世話をして、質素な生活を送っているというものだった。
 
何があったかわからないが、夫も飲んだくれてしまっており、仕事も上手くいっていないようだった。
とてもきれいな人だったし、日本で普通に結婚していたら、そんなことはせずに済んだであろう。
 
しかし、彼女は後悔はしておらず、同居している家族も感謝をし、彼女なしでは生きられないと言っていた。
他人に必要とされることに幸せを見出す方なのだろう。
状況がどうあれ、彼女は気持ちを優先し、状況に苦労しながらも、楽しんで生活をしているようだった。
なぜなら、夫と子供、家族を愛しているから。
 
やはり、気持ちがあれば何でも乗り越えられるのだろうか。
 
結婚生活は、やはり気持ちだけではどうにもいかないだろう。
先のことを考えすぎなのは承知であるが、距離が離れている分、先のことを考えずにはいられないのである。
 
以前は、「彼と一緒ならどこでも生活できる。」と超かわいいことを言っていたが、
ソマリア在住が現実になっていく今、しっかりとカレピッピの時間を無駄にしないためにもしっかりと考えなければならない。
 
ソマリア在住の日本人は現在16人と聞いた。
普通に言う「海外に住む」の次元が違いすぎる。

「当たり前」と「当たり前じゃない」こと

今まで、人生をやってきてとても感じることは、
日本で「当たり前」と「当たり前じゃない」ことがあったら、全力で前者が良い、素晴らしいとする
世の中であるということである。
 
私が、そういう保守的な考えの中で生きてきたからかもしれないが、
小学校・中学校・高校ともに「こういう生き方がふつうです。」「これが幸せです。」
と皆同じような進路や生き方を教えられてきたように感じる。
 
形式的なことかもしれないが、「制服」は特に疑問があって、
制服を着る選択肢と着なくても良い選択肢だってあっても良いと思う。
勿論、アメリカでは私服だからこそ経済的な差があらわになっていじめにつながったりしているので、
制服のメリットだってたくさんある。
 
特に、女子はスカート・男子はパンツ、というのもとても違和感があった。
私の行っていた高校は、女子高だったが、スカートかパンツは選べる制度だったので、
そこはとてもよかったと思う。
でも、なかなかそのような制度を持つ学校は少ないだろう。
 
外国人の友達を作って、色々な話を聞くにつれて、「当たり前じゃない」ことを初めて知ることが多かった。
彼らは、むしろ「当たり前じゃない」ことに価値があると思っていて、
とても自由に人生を生きているように感じた。
 
私が、留学を先進国の大学ではなく、交換留学ではなく、フィリピンに決めた際は、
外国人の友達はとても応援してくれたが、
両親含め大人の人からは、あまり賛同されることが無かった。
 
「当たり前じゃないこと」を見つけるとすぐに非難されるような環境で私は今まで生きてきたので、
とても窮屈に感じることがあったが、
フィリピンで様々な生き方をしている方々に会って、
こんな選択肢もあるんだ、この選択肢をとっても非難されないんだ。
と初めて思うことができた。
 
例え、「当たり前じゃない」ことにデメリットがあったとしても、
肯定的にとらえて、認めて欲しい。
 
恐らく、大人達は、その「当たり前じゃない」ことに関して
彼らが生きてきた人生の教訓から、アドバイスの意味で
「しない方が良い」「間違っている」「できない」
と決めつけて、傷つかないように、失敗しないように誘導してくれてるのかもしれない。
 
でも、「当たり前じゃない」ことをしようとしている人にとって
それは逆効果だし、ただの抑圧でしかない。
 
まとめると、私の経験上特に日本は
「当たり前」と「当たり前じゃない」ことがあった際、
「当たり前」の方を死に物狂いで選択するんだなあ、と感じる。
賛否両論あるが、私はそれは良くないのでは、と思う。

偽装結婚は許せるのか。

最近、カレピッピと話してる時に衝撃の事実を知った。

カレピッピは、アメリカに行くことを考えているのであるが、その手段として「偽装結婚」を考えていた。
それをサラッと言ってきたのである。
 
偽装結婚というのは、国に入国しずらい人が、その国の人に頼んで結婚をし、パスポートないしは国籍を取得してその国で暮らすのである。
 
日本で偽装結婚をする人はいないと思うが、被害者になることは多くあると思うだろう。
アメリカはそういうのをビジネスにしている人もいると聞いたが、日本はどちらかというと、女性が謎の国の人に求愛され、籍を入れた直後に音信不通。自分は騙されていたんだと気づくというものである。
 
先進国に簡単に入国できないカレピッピが考えたのが偽装結婚という方法であった。
 
勿論、そのような手段をとる人はカレピッピの周りにたくさんいるだろう、また、私もそのようなケースをたくさん知っているし、ある意味「普通」であることも知っている。
 
しかし、自分のカレピッピが私の知らない雇われ人と、例え、書類上だけだとしても結婚をされるのは嫌である。理解はできるが、嫌なのである。
 
それに、入国後にすぐに結婚を解消することは不可能なので、数年間書類上での結婚生活が続くであろう。
それは、さすがに私も理解はできないし、嫌である。
 
でも、カレピッピはアメリカに行き、自分の生活を立て直したいと考えていた。
それはカレピッピのためでもあるし、私と一緒になるためでもあった。
なぜなら、いつもカレピッピは私に「(私)にアフリカで生活するのなんて不可能だ。環境が違いすぎる。」
 
でも、私は何をするにも然るべき方法を取ってほしいのである。
恐らく、政府の制度もめちゃくちゃな向こうは、「然るべき方法」など存在しないかもしれない。
そういう概念すら存在しないのかもしれない。
 
でも、もし偽装結婚がばれたら、強制送還されてしまうし、
嘘に嘘をかさねていけば、絶対にいつか大きなトラブルに巻き込まれるのは目に見えている。
 
どうしても理解できなかった私は、カレピッピとたくさん話し合った。
カレピッピは「みんながやっている、普通のこと」という見解。
私は「知っているけど、理解できるけど、私のカレピッピが偽装結婚するのは嫌。」
 
偽装結婚をするのなら、私はさすがに一緒になれない。と伝え、もうこれで終わりだ。
と思ったが。
 
「僕の計画よりも(私)が大事なんだ、だから偽装結婚なんてしない。自分の国に戻る。将来はアフリカに来てくれるか。」
私は、カレピッピの将来の計画を私のためだけに変えたくはない。それに将来アフリカに行けるかはまだ分からない。
 
これで、カレピッピのアメリカ行きを私が阻止して、結局「アフリカはいけない。」となったら、
カレピッピの人生を大きく狂わせてしまうことになる。
 
カレピッピが私のことをそこまで思ってくれるのは嬉しいが、さすがにその選択は今の私には大きすぎる。
今のところ、「私はアフリカに行ったことがないからわからない。」と言ってある。手遅れになる前に、もうカレピッピとはここらへんでお別れするべきだろうか。
でも、お別れは寂しい。
 
カレピッピが帰国するころが、私の春休みに被るし、個人的にかなり興味があるのでソマリアに行ってみようか、と聞いてみたところ。
「僕がいるかぎり、安全だよ。自宅の警備を数人と、マシンガンと車を用意して迎えにいく。」
 
なぜ、空港に迎えに行くのに警備がいるのだろうか。マシンガンなんてなおさらである。
冗談だと思って、少し調べてみると、
ソマリア旅行は高くつく、警備として兵士を付けるからだ。」という旨のものを見た。
 
グーグル画像検索しても、死んだ魚の画像しかでてこない国である。
私は、引き返すべきか。

専業主婦はかなりリスキー

お金を稼ぐのは本当に大変である。

嫌なことは死ぬほどあるし、これを一生続けるのか。と思うと何のために生きているのか、
と思ってしまうこともある。
 
特に、女性はそのような状況にぶち当たった時。
「お金持ちと結婚して、専業主婦としてゆうゆう暮らしたい~」
というアイディアに行きつくことが多い。
 
私も、できればお金をたくさん持っている人と結婚できたらいいなと思うが、
専業主婦として、ゆうゆうと暮らすのは、かなりリスキーなのではないか。
と感じることが多くなった。
 
結婚して、相手に養ってもらうが、専業主婦の仕事はそれなりにハードであるし、
休みはない。
だが、必然的に家庭内では「お金を稼いでいる人」の主導権は強くなりがちである。
 
ハウスキーパーなどの制度があまり浸透していな日本ではなおさら、
家事業に金銭的な価値を見出しずらく、どうしても外でお金を稼いでいる人が強い。
という力関係になってしまう。
 
これは、どこかで聞いた話でもあるが、
主婦雑誌のほとんどは「節約」に重きをおいており、なかなか主婦の人が自分でお金をつくるような
方法を特集した主婦雑誌は少ないということ。
 
働いている側が主婦業に関して感謝をしており、同じ力関係を尊重してくれるような人であれば良いが、
問題は、お互いの関係が悪くなってしまった時である。
 
今の時代、離婚なんて日常茶飯事である。
今まで赤の他人として生きてきて、例え交際期間を経ていたとしても
実際に生活をしてみて「やっぱり違うな。」と思うことは自然である。
 
専業主婦の場合、「やっぱり違うな。」と思った時に、
問題になるのが、別れた後に自分自身を養わなければならないということである。
 
現状、家事業だけをやってきて、ブランクのある女性の就職口は、
生活を一人で余裕をもってできるほどのものはあまりないし、
恐らく、それを理由に好きでもない人とストレスをためながら我慢している人は
大勢いるだろう。
 
専業主婦はリスキーなのである。
 
なので、仕事がうまくいかなかったり、仕事が嫌になった時に、
結婚を逃げ道として考えるのは、やめよう。と思った。
妥協しないで結婚しようと思った。
 
そうなった時は、婚活に精を出さず、より自分が楽しめる仕事、
自分がより充実して生きていける術を見つけることに努力していこうと思う。
 
結婚はただの人生のオプションかもしれない。
私は、専業主婦で嫌な思いをしながら、好きでもない人のご飯を毎日つくっている人を
多く知っている。
それでも働くのは嫌いだから良い、と言うなら良いかもしれないが、
自分自身の人生をしたくないことをして生きていくのはどうだろう。
 
幸せな結婚生活を送っている夫婦の方が少ないのが現状である。

カレピッピがエチオピア人ではなかった話

タイトルの通り、カレピッピはエチオピア人ではなかったようだ。

 
私達は、本当に色々なことがあったのであるが、
カレピッピの様子がおかしいと思うことがあった。
 
よくよく問い詰めてみると、「ずっと黙っていたことがある。」と言う。
「でも、今は話せないから、時がきたら話す。」とのこと。
 
そんなこと言われたら気になって仕方がないのが私の性格なので、
「今話すのと、時がきたら話すの違い。」
「時がくる、時とはいったいいつのことを示すのだろうか。」
というのでまた問い詰めた結果、
カレピッピがエチオピア人ではなく、ソマリア人であるということが発覚した。
 
なぜ、エチオピア人であるという嘘をついていたのかというと、
自分の国が好きではなく、国自体が安全でないこと、好きになれない歴史があること。
以前にソマリア人だと打ち明けて離れていった友達がたくさんいるということ。
 
理由は正当であるし、カレピッピなりに国籍で嫌な思いをたくさんしてきたと思うのは
あまり責められない。
ソマリア人というのは、変えられない事実であるし、
カレピッピもソマリア人であることを選んで生れてきたわけではないので、
今回国籍を偽ったことは、仕方がないことであるが、
私の疑問ポイントは私に嘘をついていたということである。
これ以上カレピッピが私に嘘をついていないことを祈る。
 
また、国籍を偽って生きなければならない現状も非常に考えるものがあった。
私達は、何不自由なく「日本人」として最強のパスポートを持ち、
ゆうゆうと暮らしている。
 
国籍を偽る必要はないし、日本で生まれ、日本で生きていくことがふつうである。
しかし、カレピッピは、ソマリアで生まれ、ソマリア外で生きていく手段を探していかなければならない。
 
現に家族は世界各国で勉強し、仕事をしているし、
自分の国をあてにできないのである。
 
国外に出れない人はもちろんソマリアもしくは他のアフリカの国で
生活をしていくのであるが、本当に大変である。
家族、友人とは離れ離れになるし、何かあった時に安心して戻れる故郷はないかもしれない。
 
生れた場所が違うだけで、こんなにも1人が抱えていく問題が違うのか、
と思ったのはフィリピンに滞在していた際もそうだし、今回が初めてではないが、
カレピッピがソマリア人と判明した今、「日本人に生まれてよかったー!」と安心できるわけでもない。
 
日本に在住しているソマリア人は約10数名しかいないみたいだし、
更にカレピッピの日本行きが難しくなってしまった。

クソ男の話を聞いた

先日、友達と話をしている時に、クソ男の話をたくさん聞いた。

その中で一番腹が立ったのが、暴力をふるう男である。
 
私は今まで男の人に暴力をふるわれたことはないし、
どうせ、反撃する力もあるので心配はしていないが、
そんな人が普通に社会で仕事をしていて生きているのが許せないのである。
 
そして、気づいたのが、付き合っている間は
クソ男がクソ男であることになかなか気づかないという点である。
 
自分にも非があったし、間違いだったと約束してくれていたし。
などなど、自分に言い聞かせるが、案の定同じことの繰り返しである。
 
その人たちに分かって欲しいのは、
例え、相手にどんなことをしても、どんなひどいことを言ったとしても、
暴力を行使した時点で、それは相手が100%悪い。ということである。
自分の非をくよくよ考えている暇ではない。
また同じことで傷つかないように、直ちに離れるべきなのである。
 
カッとなって、衝動的な行動をとる人は本当に頭が悪いとつくづく思う。
法人に電話をかけて営業をするようなアルバイトをしていたことがある。
こちらは、ただお勧めの商品を紹介したいだけである。
相手が話を聞いてくれればそれでハッピーである。
 
だが、「個人情報だぞ、どこから電話番号を見つけたんだ。」
と怒り狂う人が多い。
向こうは法人、会社のホームページがある。
今の時代、インターネットで会社の電話番号なんてだれでも調べられる時代である。
そういうのは、頭の固い年齢高めの人に多いので、本当にため息がでる。
 
ただ、「結構です。」
の一言で構わない。
なのに、道理はずれのことでわざわざ怒って何が楽しいのだろうか。
そのようなすぐ冷静を失うようなひとは、それが性格なので、何も今後変わるわけがない。
 
なので、すぐカッとなって暴力をふるってしまうような人は
そのまま、一生そのままなのである。
 
これは、DVなど色々な深刻な問題になってくるのであるが、
すぐ感情的になって自分が怒っている理由も分析できないような人は、
一生不幸になって欲しい。